2013年11月20日 22:44
子どもと指導碁を打つが、あまり局後の解説はやらない。元々技術的なことは教えないことにしているし、ここはこう打つべき、と言っても、囲碁の神様が観ていたら本当にそうなのか、自信がないからでもある。ただ「今こそ、これを」と強く感じることがある。啐啄(雛がかえろうとするとき,雛が内からつつくのを「啐」,母鳥が外からつつくのを「啄」という)啐啄の機、啐啄同時と言うが、今伝えなければ、と強く思うことがある。今日寺子屋でマサナリ君と打っていた時、まさにその機を感じた。マサナリ君は最近碁が違ってきていて、一段上に上がる気配を感じていた。6子の指導碁で「攻め」の呼吸を伝える絶好な局面が現れた。局後のその場面を再現して、これまでにない強い調子で話した。マサナリ君はしっかり受け止めてくれた。これで高段へと踏み入れたであろう。


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